2013年7月14日日曜日

『ラマダーン』と『家族の絆』

ラマダーン4日目の本日。日照時間が長く、19時を過ぎても『日の入り』にならない。街の様子も独特の雰囲気を醸し出している。恐ろしいほどの静寂が漂い、イスラム教徒が耐えている雰囲気がひしひしと伝わる。

今年もラマダーンが始まった。7月10日から、チュニジアは別世界の様相に包まれている。1か月間、イスラム教徒は『日の出』から『日の入り』まで断食を行う。ほとんどの商業活動は午前中で終了し、レストランやバーは外国人用のホテル等を除き、一切閉店している。スーパー等におけるアルコールの販売も禁止である。

昨年もそうであったが、ラマダーン中には孤独感が拭えきれない。ラマダーンはあくまでイスラム教徒にとって神聖な儀式であり、非イスラム教徒にとっては門戸外である。この雰囲気に逆行するように、昨日の金曜日にはチュニスで数少なく開店している外国人用のバーで一人寂しくビールを飲んでみたりしたが、何故か虚しい。店も街の雰囲気に同調するように閑散としている。出稼ぎ外国人の私にとって日本の家族が恋しく感じる。

ラマダーンとは、イスラム暦の第9月の事を指すという。この断食の習慣は、624年、モハメッドが300人ほどの信者全員と共に、メッカの部隊を破ったことを神の恩寵と捉え、記念したことに始まったようだ。イスラム教には、5の柱と呼ばれる信仰告白(シャハーダ) 、礼拝(サラート)、喜捨(ザカート) 、断食(サウム) 、そしてメッカへの巡礼(ハッジ)があり、4つ目の柱『サウム』を1ヶ月間集中的に行う月が『ラマダーン』であるという。

ちなみに、イスラム教徒にとってはラマダーンは苦行であるが、辛いことばかりでもなさそうである。病人や赤ん坊を除いて、老若男女の全てが日照時間中は断食を行うが、日の入り後は家族全員で食事を共にする。イスラム教徒とって、ラマダーンとはアラーに対して信仰を捧げると共に、家族の絆を深める儀式でもあるようだ。その後は買い物などに街中に繰り出し、その賑わいは夜更けまで続く。私のチュニジア人の友人もラマダーンに対して否定的なコメントをするものはいない。子供の頃から家族や親せきに囲まれて楽しい思い出ばかりであるという。

私は高層のアパートに住んでいるが、窓から、様々な家庭が全員で夕食を準備しているのが見える。ベランダで食事をするものを入れば、屋内で食事をするものもいる。テーブルの上には食事と飲み物が並んでいる。彼らは日の入り後に、一斉に食事を開始する。

今宵は家族でどのような話題をするであろうか。親は子供たちに『今日も大変だったけど頑張ったね』と褒めるのであろう。まるで、家族同志で『サハ』、『サハ』(『いいね』、『いいね』)と笑いあっている声が聞こえるようである。断食の後の食事の味はさぞかし格別であろう。家族団欒の夕食に『Buena Appetite!!』(良いお食事を!)である。

2013年7月4日木曜日

プロジェクト・ファイナンスとは

先週一週間、プロジェクト・ファイナンスの研修に参加してきた。チュニジアの太陽が燦々と輝く、青い空のリゾート地にて、缶詰状態での研修である。

研修の講師は年配のイギリス人であった。既に70歳近くになっていると思われるが、プロジェクト・ファイナンスには30年間以上関与してきたという。その経歴を聞くところ、若い頃はイギリスでMBAを取得し、投資銀行や商業銀行に勤めたようだ。その後、欧州の某開発銀行の局長まで上り詰め、世界中のエネルギー、電力やインフラのプロジェクトに関与してきたという。謙虚な方であるが、明らかに只者ではない雰囲気が漂っていた。

ご参考までにプロジェクト・ファイナンスとは融資の一形態である。企業の信用力とは別に、プロジェクト自体から生じるキャッシュフローをもとに融資を行う手法である。その分野は資源、非鉄、インフラ等多岐にわたって活用されている。プロジェクト・ファイナンスは10年を超えるような長期の案件が多く、スポンサー(株主)、レンダー、EPCコントラクター、オフテーカー、アドバイザー(リーガル、テクニカル)等、国境を越えて様々な関係者が集まり、プロジェクトを構築していく。

研修はプロジェクトのリスク、キャシュフロー分析、ストラクチャー構築、PPP(パブリック・プライベート・パートナーシップ)等に関するものであったが、その研修内容そのものよりも、講師が話す過去の歴史やプロジェクトの事例が興味深かった。その例は80年代のサッチャー時代の『ユーロトンネル』に始まり、ソ連崩壊から10年経って実現した『バクー・トビリシ・ジェイハン(BTC)パイプライン』 、カタールの『ラスラファンLNG』、チリの『エスペランサ鉱山』等々であった。

これらの案件は日本の企業も参加しており、かつて勤めていた商社の隣の本部にて事業投資していた事を思い出した。その頃は各商社が大々的にリストラを行った90年代後半の少し前の話である。商社マンにとっては夢のある時代であった。

研修は、その他、アフリカのIPP(独立系発電事業者)の歴史や、2000年前半に米国のIPP事業者が世界中で活躍していた話題等で満載であった。AESやSithe等の懐かしいIPP事業者の案件も紹介されていた。ちなみに、2000年前半は米国エネルギー会社が軒並み倒産する時期であり、アフリカの電力事業の主役も米国勢から欧州勢に移行している。

研修は1週間の缶詰状態なので、参加者と昼飯も晩飯も一緒である。当然、講師とも話をすることになる。そのイギリス人の講師によると、多くの日本企業とも働いたことがあり、私のかつて勤めていた商社とも取引を行っていたという。また、私が一時期所属した米エネルギー会社とも商談をおこなったという。その講師の懐かしそうに話をしていた顔が印象的であった。

その米エネルギー会社にはレベッカ・マークという女性の副社長がいたが、その講師はレベッカと会ったことがあるという。レベッカは世界中の電力事業を立ち上げ、資産を買い上げた豪腕で知られた女性である。レベッカは私にとって突き詰めると上司にあたった人であるが、当時は雲の上の存在であった。

その講師によると、かつてサウジアラビアのIPP案件があったが、スポンサー(株主)がつかず、その案件は暗礁に乗り上げていたという。しかし、サウジ政府も含めて関係者が会議を実施している際、レベッカがアメリカから駆け付け、即プロジェクトの関与を約束したという。本来であれば、サウジの関係者は救世主に対して感謝をするべきであるが、レベッカの提案は拒否されたという。理由は何故か。レベッカは女性であり、しかも、その高圧な態度と、その服装がイスラム教徒であるサウジ関係者の反感を買ったそうだ。その講師はその会議の一部始終を見ていたという。

プロジェクト・ファイナンスとは融資の一形態であるが、その手法を通して、様々な関係者が国境を越えて出会う。それぞれの立場は違うが目的はプロジェクトが完成し、無事に運用が行われ、資金を回収することである。そこには、長年かけてプロジェクトを構築した先人たちの努力とドラマがある。先週はプロジェクト・ファイナンスの歴史を垣間見た一週間であった。

2013年7月2日火曜日

米国の裏の姿とは

昨日、BBC(英国放送)を見ていたところ、米NSA(国家安全保障局)がEU連合の施設で盗聴や電子メールの傍受を行っていることをドイツの週刊誌が暴露したことを知った。これに対してEUは米国に対して激怒しており、即座の説明を求めているようである。

このニュースにを見て、1995年、日本が米国のカンター通商代表と行った日米貿易交渉の際に、当時の橋本通産相の電話がCIAに盗聴されていたことを思い出した。当時、若かりし時の私は、そのアメリカのアンフェアーな手法に憤慨した記憶がある。しかし、今回のニュースを聞いても特に驚かなかった。残念であるが国際政治の世界とは汚くそして残酷なものなのであろう。恐らくこれらの盗聴による情報収集はアメリカの常套手段であると思われる。

少し話はそれるが、年末に一時帰国した際に日本から持ってきた本がある。元外務省国際局長の孫崎享が著した『戦後史の正体』である。この本によると、戦後、対米追随を行わない『自主派』の首相は短期政権に終わっているという。そこには米国による圧力や裏工作が存在していたようだ。検察特捜部と報道が巧みに利用され、『自主派』の首相が引きずり降ろされている。

その本によると、田中角栄が失脚した理由は日中関係にあったようだ。米国と中国の間で、国交正常化が進まない中で、角栄は1972年9月に『日中国交正常化』を成立させた。その前月にキッシンジャーと角栄はハワイで会談を行い、キッシンジャーは角栄に『日中正常化を延期してほしい』と依頼したらしいが、角栄はその依頼を一蹴した為、米国の恨みをかったという。ロッキード事件で田中角栄が失脚したのは皆が知るところである。

日本人の多くの国民は戦後より、米国を同盟国であると思って疑わないことが多い。ある意味では事実であるが、しかし、冷戦が終焉した1992年頃にはCIAは日本の経済力を“米国の敵”とみなし、対日工作を大々的に行っている。1995年、当時の橋本通産相の電話がCIAに盗聴されていたのはその延長線にある出来事であろう。現在でも、アメリカはあらゆる情報網とリソースを利用して、自国が有利になるべく、日本に圧力や裏工作を続けているようである。

また、日本の経済がここまで低迷した理由は、複合的な要素によるものの、米国の戦略が大きく影響したことも否めないだろう。85年のプラザ合意しかり、91年のBIS規制しかりである。これにより、日本の製造業と、銀行は大打撃を受けた。これらの戦略により、長年に渡り、日本の経済が停滞し、日本を敵対視する意味合いが薄れた。更に中国という新たなライバルが出現したおかげで、日米間での対立が緩和し、米国と日本の軍事同盟関係は維持されているのだから皮肉なものである。

アメリカとは歴史的に敵と味方を入れ替えている国である。イラクのサダム・フセイン、リビアのカダフィー、オサマ・ビン・ラディン然りである。彼らは米国との蜜月時代を築いていた時期もあったが、米国の意向に背くと敵対関係に変化していった。一方で、嘗て戦争を交えたベトナムとは現在、良好な関係を構築している。冷戦が終焉した後、中国の台頭が無ければ、日米関係は大きく変化していたかもしれない。

それでは米国との関係は如何にするべきであろうか。現在、米国の経済はかつての勢いを見せないが、私は米国は必ず復活すると見ている。世界中の知が集まり、人口が増え続ける国である。アメリカを過小評価するのは危険である。従い、私はアメリカとの関係を、より強固にすべきであると思うが、一方で日本は国益に対してはもっと敏感になり、それを強固に守るべき姿勢を貫くべきであろう。『対米追随主義』でもあり『自主派』でもある。

その為には日本人はもっと国際的にならなければいけないし、もっと“したたか”になるべきではなかろうか。国際社会において、なかなか“したたか”になりきれない自らの反省も含めて、日本人に問いたい。