2014年3月1日土曜日

アンデスからマグレブへ

地球が益々フラットになり、世界を股に活躍している人が多くなっている。チュジニアはエネルギー輸出大国ではないが、南部で石油やガスが掘削される為、エネルギー関連の仕事に従事する人もいる。本日、家族ぐるみで付き合っている南米出身の友人宅に招待されたが、その友人もオイルマンの一人である。友人は石油エンジニアとして、この10年間、祖国を離れ、世界中を転々としているという。その家族との話があまりにも興味深かったのでここに書き留めておく。

その家族との話題は多岐に及んだが、そのアンデス出身の夫婦がチュジニアに来て驚いたのは、スペイン語とアラビア語の共通点であったという。その家族のチュニジア人のメイドはほとんど英語を理解せず、当初はコミュニケ-ションに困ったというが、お互いの言語を発するうちに、共通の単語があることに気がついたという。例えば、カミサ(洋服)、サパット(靴)、パンタロン(ズボン)、カミオン(トラック、車)等である。これはスペインにおいて1492年に完了したレコンキスタ(国土回復運動)の影響もあり、キリスト教徒に迫害された多くのイスラム教徒がモロッコやチュニジアに流入した名残であろう。言い換えると、スペインはレコンキスタ完了まで、700年間のアラブに征服された歴史があり混血も進んでいた。多くのスペイン語を話すアラブ人の帰国子女達が祖国に戻り、アラビア語に影響を与えた為ともいえる。

1492年とは大航海時代において、新大陸を発見した年であるが、多くのアラブの血を引いたスペイン人やポルトガル人が新たな世界に向かった。清教徒(ピューリタン)のように家族単位で新大陸に向かったアングロサクソンとは異なり、イベリア半島出身の探検者は単身の男が多く、新大陸において混血が進んだ。その末裔である南米の家族が北アフリカに来て、スペイン語とアラビア語の共通点を見出すということは大きな歴史の皮肉と言わざるをえない。13世紀後の帰国子女とも言えるであろうか。実際に母親と子供たちはチュニジア人と間違えられることも多いという。

父親はアンデスの血を強く引いておりネパール系のアジア人にも見えるが、その家族全員が子供のころに蒙古斑があったというのは驚いた。スペイン人やアラブ人の血を引く一方で、アジア人の特徴も兼ね備えているのは興味深い。日本人の我々も子供のころには蒙古斑があるいう話をしたところ、実は我々2家族は遠戚なのではと笑いあった。アジアと南米はベーリング海峡か、ポリネシア等の島を経由して、人々の行き来があったのであろう。

さて、そのアンデスの国は日系人もいて、その友人も学生時代は日系人と机を並べて勉強したという。その日系人の一人は有名な医者になっているという。日系人は特に農業の分野でアンデス諸国の発展を支えているとのことであった。

日系人の話をしながらペルーのフジモリ元大統領の話になった。現在、フジモリ元大統領は軍による民間人殺害への関与などに問われ、ペルーの刑務所に収容されている。しかし、その友人は同氏の功績を高く評価していた。彼の開放経済やテロリストに対する強い姿勢がなければ、現在のペルーの発展はなかっただろうという。私もその意見に賛成である。

そして、1996年12月17日に起きた『在ペルー日本大使公邸人質事件』の話になった。当時、私は東京の商社においてペルーのODAの案件に関与していた。当日、会社に出社すると、ペルーの駐在員が行方不明になっており大騒ぎになっていた。天皇誕生日祝賀会に参加した関係者600人がトゥパク・アマル革命運動(MRTA)の人質になっており、駐在員もその中に含まれているのではないかという。私は駐在員の携帯電話番号を知っていたのでかけてみると、なんと本人が出た。

『Aさん、大丈夫でしょうか。東京では貴殿のことを心配しております。』

『私は大丈夫だ。祝賀会を早く退席したので被害はなかった。所長は東京に出張中だ。但し、残念ながら、所長の奥さんが人質になっている。多くの日本人やペルー人の友人も同様の状況だ。』

数日後、女性や子供はMRTAから解放されたと記憶している。最終的にこの事件は4か月もの月日がかかり、特殊部隊の介入により、人質と特殊隊数人の死傷者と共に幕を閉じた。MRTAの構成員14人は全員射殺された。この間、フジモリ大統領と橋本龍太郎首相の間で、平和的解決か武力介入かを巡り、激しいやり取りがあったと記憶している。フィデル・カストロの仲介もあり、平和解決の中にはMRTA構成員のキューバへの亡命という案も出た。

実はフジモリ大統領を一度だけ見たことがある。1991年にグアダラハラで開催された第一回イべロ・アメリカ首脳会議の時である。当時、私はメキシコで留学生だったが、首脳会議を終えた各国のリーダー達が、国会議事堂から市街に歩きだすパレードに出くわした。その中には軍服を着たフィデル・カストロ(キューバ)や、フォアン・カルロス1世(スペイン)、カルロス・サリナス(メキシコ)、カルロス・メネム(アルゼンチン)、イタマル・フランコ(ブラジル)が含まれていた。民衆は熱狂し、『フィデル!!フィデル!!』と連呼していたことを覚えている。私はフィデル・カストロを見た事にも感慨を覚えたが、日系人であるフジモリ大統領がラテンアメリカのリーダーとして堂々と振舞っていたのが嬉しかった。

フジモリ元大統領の現在の状況に心を痛めているが、まさかチュニジアで同氏の話ができるとは思わなかった。また、本日はアンデスからマグレブに来た友人と共に、北アフリカ、スペイン、南米、アジア、日系人の話をし、全て人類は繋がっているという事を強く認識した日でもあった。